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毘沙門天と光り輝くものへ


by bisyamon0114
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毘沙門さまとの出会い 母の歴史④

私は大人になって不調をきたすほど、母から愛情をもらえませんでした

それは潜在意識の中に刻まれて黒い塊の病巣を作っていました

(2015年2月15日のブログに書いています)

今の私とは別人のようで「早く死にたい」という願望をもつ暗い子供時代135.png

母は私と妹に「お前たち2人がいなかったら楽だったのに」とボヤいていました

今はそんな母の事も理解できるようになりました

母は自分の転落人生は自分自身のせいだと分かっていたからこそ、私達に八つ当たりしたのでしょう

とにかく理屈抜きに苦しかったのでしょう

母の姿で忘れない映画の様なシーンがあります

貧乏な家に不相応なポーラのおしろいをはたいている後ろ姿…

母の人生を思うと平家物語の一説を思います

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし…173.png

「おごれる者久しからず」を身をもって経験した母は随分歳をとってから、そういう自分の人生の出来事を語り始めました

私が30代半ば、母は70過ぎのころに なると思います

長男と暮らす母を定期的に訪ねていた時のこと、母の部屋の押入れから探し物を頼まれ偶然古びた箱を見つけて出しました

母が「あら、そんな所にそれはあったか」と言い箱を開けました

箱の中にはたくさんの写真が入っていました

特に目を引いたのが、写真館で撮った女性の写真

パーマ頭に、白いブラウス、ハンドバッグを腕にかけポーズをとった姿

「この人誰?」と聞いたら、それは若い頃の母でした

大正5年生まれの母の時代にしては相当なおしゃれな女の人、裕福な家のお嬢さんとわかる写真でした

母はニコニコして写真をみて、嬉しそうでした

それから母の歴史を聴いたのでした

小学校には女中さんにおんぶしてもらい通っていたこと、勉強が嫌いで女学校や、裁縫教室をサボって何も身につけられなかった事、わがままいっぱいに育てられた事

一番驚いたのは、母は祖母の養女だった事でした

祖母も一人娘で養子を取り家をつぎ、祖母は自分の息子の子供、つまり孫にあたる母を溺愛して養女にしたそうです

自分の総ての財産を母にあげたいと育てられた母はわがままいっぱいに育ち、結局父と駆け落ちして祖母と祖父を悲しませました

母が子供を産み 、祖母が仕方なく結婚を許した時、父は祖母の杖で「お前なんかに嫁がせるために○○(母の事)を育てたのではない」と何度も叩かれたそうです

その後、祖母は父に土地も家もあげるからと申し出たけれど父は受け入れなく、母は祖母が生きている間、随分お金を無心したからと祖母が亡くなった後は財産放棄して、父が早く亡くなり、母は貧乏まっしぐらの人生に落ち入ったのです

そして母は、自分が華やかだった頃の写真は箱に入れ、どこにあるのかわからない様にしまい込み、何十年も見ることはなかったのです

そして私達に「人間いつどうなるかわからないから、人をバカにしたらいかんよ!
人生は良い時と悪い時と半々だから…」

と諭すような人になりました

でも晩年の母は自分は幸せだと言っていました162.png

そして母が亡くなり、母が大きな旅客船に乗り旅立っていくのを観た時、母は写真館で撮った写真の姿、パーマをかけたヘアスタイルに素敵な洋装のお嬢さまスタイルでした

「アー修行が済んだ、済んだ」と船尾に立ち後方を見ていました

風に吹かれながら、清々しい表情で地球を去って行きました

お母さんご苦労様でした101.png

今月のヨガランチ、キッシュと季節の焼き野菜、スープ
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by bisyamon0114 | 2017-04-26 01:54 | Comments(0)