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by bisyamon0114
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毘沙門天 ティティティア 母の歴史③

今生の私の子供の頃の生活状況は、なかなかきびしいものでした

私は3才、一番下の妹は2才、7人の子供を残して父が亡くなり我が家は貧乏でした

母は誇り高い人で、父が亡くなって生活保護を勧められても「わずかなお金をもらって、人様のお世話にはならない」と断ったそうです

母の信念は「父親が居ないからとバカにされないように!」

なので、子供に対する躾は厳しく、優しい母の思い出はありません

兄と姉達が早くから働き、我が家の生計をたてていたようです

私は小学校低学年の頃、母から養女に行かないかと何度も打診されました106.png

男の子しかいない親戚の家、子供のいない知り合いの家など…

私は大人しい無口な子供だったので、扱いやすいと思われたのでしょう

子供にとっては、どんなお金持ちの家でも宇宙に行くようなもの、結局行かないで家に居座りました

そして、私は子供心に思っていました

「私はここの家の子供ではない、こんな貧しい家の子供ではない、本当の優しいお母さんが運転手付きの黒い立派な車に乗ってお迎えに来てくれるまで、仕方がないのでここに居よう」

私は、本当はお姫様なのに、何故ここに居るのだろう?

と、毎日お姫様の絵を描いていました

日本のお姫様、西洋のドレスを着たお姫様、西洋のお姫様の住んでいた家の間取り、自分の部屋の家具や窓のカーテン、見たこともないピアノ等

いま、思えば、その時の状況がとても苦しくて、前世の思いでに浸って逃避していたのでしょう

小さな子供は前世の事を覚えていると言いますが、その時はそんな状況だったのです

私はいつも家で一人遊びをしていました

でもそれが大好きでした

保育園も学校も、放課後ともだちと遊ぶのも嫌いでした

そんな私は母に気の強い子供で、何を考えているか分からないと嫌われていました

母の言葉で一生使える名言があります

「人生は半々だから、今は良くてもいつどうなるか分からない」

母自身の人生を振り返って思う生きた言葉でした

修行場の桜、山中なのでまだ残ってました
 毘沙門天  ティティティア 母の歴史③_c0348065_08041446.jpg




by bisyamon0114 | 2017-04-17 08:07 | Comments(0)