毘沙門天さまとの出会い(28)親友との別れ
小さい頃から体が弱く、体育の授業は見学することが多く図書室で本を読んでいました。
読書と絵を描くことが大好きな私は、美術系の実業高校に進学しテキスタイルデザインの会社へ
就職しました。
活動的でなかった私は友達付き合いはあまり上手ではありませんでした
そんな私にも、唯一の親友がいて彼女と過ごす事が一番の楽しい時間でした。
私達は毎日交換日記をつけ、時間があればいつも一緒に過ごしました
前世は双子だったのかもと本気で話したりしていました。
そんな私達にも別れの時が来ました
私は夢を抱いて横浜へ、彼女は家業を手伝うため地元へ残らざるをおえず・・・
寂しがる彼女をおいて、心は繋がっているから時々行き来しようねと私が説得した感じでした。
私の出発の日、見送りに来た彼女の泣き顔を今でも覚えています。
卒業後3月の末に出発し、4月の20日を過ぎた頃だったとおもいます。
彼女のお母さんから突然電話があり驚きました!
彼女が事故にあい入院したとの知らせでした
すぐにお見舞いに帰るという私に、お母さんは大丈夫だから来なくていいよと気を使われました。
重篤ではないと聞きほっとしたのも束の間、2、3日後だったでしょうか・・・
今度は友人から電話をもらい、そのまま気を失ってしましました。
彼女の様態が急変し亡くなったという知らせでした。
1か月前までいた親友がこの世からいなくなってしまった、その事実を受け入れる事は難しく、恐ろしいものでした。
危篤になった彼女は、私が誕生日にプレゼントした手編みのショールを掛けてくれとお母さんに頼み
私の名前を呼びながら死んでいったそうです。
直ぐに帰らなかったこと、彼女の近くにいなかったこと、たくさんの数限りない事を後悔し
それから懺悔と後悔の人生が始まりました。
18歳でたった一人の親友の骨を拾い、その後重い十字架を背負って生きることになりました。
以後30年間私は悲嘆の人生を送ることになりました。
3歳で兄と父を亡くし、18歳で親友を亡くした私は、愛する人達との永遠の別れとなる死と立ち向か
うという恐ろしく難解なテーマを与えられてしまいました。
21日の写経会、お一人でしたのでゆっくりと過ごせました。
古賀さんから教えて頂いた、小顔ポーズ、虫歯ポ-ズでしたっけ(^_-)-☆
こんな素敵な封筒でお布施いただきました