毘沙門さまとの出会い (20) 前世の 自分の死 ①
薄皮を剥ぐように、一つずつ思い出しながら、私はなぜ前世の事を思い出さなければいけないのか?
なんの為に、このように不思議な事が起こり続けるのかと、わからないことだらけでした。
思い出すと言うより、誰かに思い出させられているような気がしました

前世の私の名前が「しの」だと思い出したのはAさんとCさんと3人で雷山に行った後です。
私の名前は何だったかな?
と考えていたら、数日後の朝5時頃パット眼が覚め「しの」と頭の中に浮かびました。
(その後、私は自分の苗字も思い出します)
必要なこと、私が知るべき事はたいてい朝5時位に誰かが知らせにくるような感じです。
名前を思い出してからCさんに「私の名前はしのですか?」と確認のためメールしたら
「そうです」と返事が返ってきました。
その後Cさんの名前は何だったかな?
と考えていたら、数日後の朝に「どうげん」と出てきました
再び、Cさんに確認したら「そうです」との返事でした。
初めて雷山に行った時、Aさんが観られた前世の雷山でのワンシーン毘沙門様との出会い (5)は本当でした。
私がお寺に預けられた当初は、どうげんさんに連れていかれないようにたくさんのお侍さんがいたのですが
どうげんさんは、隠れて様子をうかがっていたのです。
私は、父の迎えを待ち続けました・・・もう限界状態の時にどうげんさんが現れ、とにかく自力で帰ろうとしました。
それが「駆け落ち」だったのかはよくわかりません・・・私は大好きな父に迎えに気て欲しかった。
その時、しのさんは20歳どうげんさんは18歳、私は2年後、22歳で人里離れた山中で死にます。
(Cさんは、大阪あたりかな~と言われましたが、私は奈良の氷室あたりだと思います)
雷山のお寺を出てから2年間、私はどうげんさんと山中を逃げ回ることになります
たいてい山伏の修験の場所で那智の瀧は覚えています。
Cさん曰く、しのさんは山の修験の場所でぴょ~んと飛んだ時に左足のすねにひびが入る怪我をしたそうです

その怪我のため、しのさんはどうげんさんについて行けなくなり、人里離れた山小屋でねこちゃんとお留守番になりました。
どうげんさんが、子猫をつれてきました。
最初Cさんと会った時に「子猫の貰い手を探していますが、飼われないですか?」
と言われたのは私がしのさんか確認されたのでしょう。
私はその頃には、とても貧しい身なりになり食べる物は栗や柿、時々どうげんさんが里からお饅頭をもってきました。
どうげんさんに「鏡を買ってきてください」とお願いしましたが、お願いは叶いませんでした。
どうげんさんが留守の間に、しのさんは足の怪我が悪化して動けなくなり危篤状態になります
やっと、どうげんさんが帰ってきた時は、しのさんは臨終間際でした。
しのさんはどうげんさんの膝枕で死んでいきますが、その時の体験を私は雷山に向かう車中でしたのです。
5月の写経会は18日~24日までになります、今月は短くて申し訳ありません。
お一人でも受け付けいたします。(要予約)
4月には光照は写経や般若心経のありがたさを実感いたしました。
実は私の母が4月に98歳で亡くなりました。
危篤の知らせで母のもとに駆けつけ、私と娘で枕経「般若心経」をお唱えし体をさすりお別れを致しました。
般若心経は彼岸に渡す筏船、と言われているように、母は安らかに彼岸に行くことが出来ました。
私は母の最期に、枕経をお唱えできたことで自分自身も悔いが残らず、自分自身の心の供養にもなりました。
死にゆく人に最期に、何かお返したいと思っても、もう物は無用です
最期に枕経をお唱えしてあげられれば、それが一番のお返し、プレゼントになると思います。
また自分自身もいつかはこの世を去らなくてはならず、その時も心の中で般若心経をお唱えして
心やすらかに彼岸へ行きたいと思います。
光照の写経会では般若心経を練習します、必ず上手になりますよ~
私も3年前に生まれて初めて般若心経の練習を始めたのです。
今は光照のお家はお花が綺麗です

